ヴェゼルで長府に行ってきた

ヴェゼルで長府に行ってきた

2017年4月8日 0 投稿者: macfancy

ヴェゼルで

下関編の

第二弾は、

城下町長府です。

1.忌宮神社

山口県下関市にある「忌宮神社」は城下町長府の中心に位置し、古事記、
日本書記にも記されている伝統ある神社です。(延喜式内社)仲哀天皇とそのお后である神功皇后と応神天皇をお祀りし、文武の神(勝運の神)安産の神として歴代の朝廷や武家をはじめ多く庶民の信仰を受けてきました。

九州の熊襲平定のため西下された仲哀天皇と神功皇后は、本州の西端で九州を真向こうに見据える要衝のこの地に8年正月までご滞在になり、斎宮をたて神祇を祭られたのが忌宮の起りとされております。のち聖武天皇の神亀5年(728)、信託によって筑前香椎宮より神功皇后の神霊を勧請して中殿に奉斎し、相殿として仲哀天皇、応神天皇をお祀したと伝えられております。またの社伝によれば、9年2月に香椎で崩御せられた仲哀天皇の御屍を、皇后は武内宿禰に命じて海路より穴門に遷されたという殯斂の地が神社の南方500メートルの丘にあり、天皇の神霊を鎮守した御社を行宮にちなんで豊浦宮と称し、くだって聖武天皇の御代に神功皇后を奉斎して忌宮と称し、さらに応神天皇をお祀りして豊明宮と称する三殿別立の神社でございましたが、中世の火災により豊浦宮、豊明宮が焼失し、忌宮に合祀したと伝えられております。

満珠・干珠

長府沖に浮かぶ、神話と伝説の島、満珠・干珠は忌宮神社の飛び地境内です。
神功皇后が新羅出兵の際に住吉大神より授かった
「潮干珠(しおひるたま)、潮満珠(しおみつるたま)」を海にかえすと二つの島になったと云われております。

「鬼石」と「数方庭」

豊浦宮に攻め寄せた新羅の武将・塵輪を射倒しその首を埋めたとされる場所です。塵輪の顔が鬼のようであった事から「鬼石」と呼ばれています。
毎年8月7日から13日までの毎夜この鬼石を中心として広庭で「数方庭」が行われます。男子は幟を、女子は切籠と呼ばれる灯籠を吊した笹竹をもち、鉦や太鼓の音色に和して鬼石の周りを踊り舞います。
また、探査機による鬼石周辺の調査を行った所、当社に伝わる伝承通りの深度の場所に金属の反応があらわれ、塵倫を葬った際の副葬品ではないかと云われています

神功皇后お手植えの「さか松」

御朱印

2.乃木神社

軍人として広くその名を知られ、明治天皇大葬の日に殉死した乃木希典(まれすけ)を文武両道の神として祭り、1920年(大正9年)1月30日に創建された神社です。境内には乃木夫妻の銅像や乃木家が16年間過ごした旧宅(1914年(大正3年)に復元)、また乃木夫妻の遺品や遺墨などが展示されている宝物館があります。

御朱印

3.功山寺

 

鎌倉時代創建、唐様(からよう)建築の美しさを保つ仏殿は、わが国最古の禅寺(ぜんでら)様式を残しており国宝に指定されています。
元々は長福寺と呼ばれており、功山寺となったのは長府藩祖毛利秀元(ひでもと)の菩提寺とされてからです。また、幾度となく歴史の舞台になったところで、毛利元就に追われた大内義長が自刃した場所であり、明治維新の転機となった高杉晋作が、奇兵隊からも賛同されないまま、伊藤俊輔(の博文)率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊ら、わずか80人程度で挙兵した地(功山寺挙兵)でもあり、境内には馬上の高杉晋作像があり、晋作を始め幕末・維新ファンなど歴史ファンが訪れております。その他、ここには“五卿潜居(ごきょうせんきょ)の間”があり、そこから望む美しい庭園は人々の目を引かせます。また、境内の裏には長府毛利家墓所、大内義長の墓、坂本竜馬の護衛を務めた長府藩士三吉慎蔵の墓などがあります。

御朱印

おまけ(ギャラリー)

スライドショーには JavaScript が必要です。

今回は、日帰りで下関(長府)の寺社仏閣を巡りました。

観光スポット、パワースポット、見どころ満載でした。

紹介しきれないので、

「下関観光プロモーションビデオ」をアップしました。

(25分の大作なのでインデックスを付けました)

下関観光の予習や復習にどうぞ。

楽しんでください。

<下関観光プロモーションビデオ>

1:05  波田陽区

2:20 赤間神宮

3:20 巌流島

4:25 功山寺

5:20 桜山神社

6:20 満珠干珠

8:15 城下町長府

9:40 功山寺

10:35 東行庵

11:35  唐戸

12:00 関門トンネル

12:40 海峡ゆめタワー

13:40 海響館

18:00 ふく

20:00 瓦そば

20:40 とんちゃん鍋

21:00 花火・お祭り