広島護國神社に幸先詣に行ってきた

広島護國神社に幸先詣に行ってきた

2022年12月25日 0 投稿者: macfancy

広島護國神社幸先詣に行ってきました

1.幸先詣とは

幸先詣とは、新型コロナウイルス感染予防対策として、初詣の分散参拝を目的として始めた試みです。

様々な新しい生活様式が提唱されている中の一環としてご理解ください。

命名の由来は「幸先よく新年を迎えられますように」という願いが込められています。

期間は12月13日の「正月事始め」の日から12月31日の午後6時までです。

正月事始めとは、新年を迎えるための準備を始める日として、昔から「煤払い」や、門松の材料を取りに行く「松迎え」、お雑煮を炊くための薪などを山に取りに行く習慣がありました。

京都祇園では、今でも芸妓や舞妓が師匠宅やお茶屋を訪れ、挨拶廻りをする習わしが続いているそうです。

2.『幸先詣』限定御朱印

幸先詣の期間中(12月13日~12月31日の午後6時)に限り、『幸先詣』限定の御朱印を授かることができます。数量限定で、なくなり次第終了ということでした。

3.広島護國神社の由緒

広島護国神社は、明治元年12月、明治維新の戊辰の役において陣没された高間省三命以下七十八柱を、二葉の里に新しく造営された「水草霊社」に奉祀されたのが創建です。

以来、大東亜戦争に至るまでの幾多の事変戦争において、戦没されたご英霊およそ九万二千余柱(勤労奉仕中に原爆の犠牲となられた動員学徒、女子挺身隊等約一万柱を含む)の神霊をお祀りしています。

水草霊社は明治8年に、官祭招魂社となり、同34年官祭広島招魂社と改称されました。

昭和9年、御社殿の老朽化に伴い、西練兵場(旧市民球場の辺り)の西端に新社殿を造営し移転されました。同14年に広島護国神社と改称されましたが、昭和20年8月6日、至近距離上空で原子爆弾が炸裂し、御社殿すべてを焼失しました。

その後同地に小祠を設けて祭祀を続けてきましたが、広島市の復興に伴い移転を余儀なくされたため、復興奉賛会が結成され県民より淨財を募り昭和31年秋現在の広島城跡に新社殿が造営され、待望の復興を遂げました。

昭和46年4月、天皇皇后両陛下(昭和天皇)の御親拝を契機に参拝者が急増し、社殿の老朽化も著しく手狭となってきたため、平成の御大典記念事業として、改修及び御社殿のお建替を計画し、県市民や地元企業の御奉賛によって平成5年4月、本殿拝殿を始め儀式殿や石烏居・石畳に至る諸工事が竣功し現在に至っています。

 

平成10年が御創建130年に当ることから、記念事業として更なる社頭の整備事業が計画され、悠久殿の新築、儀式殿、神楽殿、社務所、参集殿の建替えなど全ての記念事業が平成21年6月に竣功しました。

4.まとめ

  • 広島護國神社では初詣を先取りした『幸先詣』のお参りをすることができます。
  • 幸先詣の期間は期間は12月13日の「正月事始め」の日から12月31日の午後6時までです。
  • 幸先詣では、例年年明けに授与していた破魔矢・熊手・土鈴などの縁起物を年内に授与してもらえます。
  • ご祈願についても、令和5年の厄年のお祓い、年祝いのご祈願を年内から受け付けてもらえます。
  • また、幸先詣期間内の限定御朱印も授与してもらえます。
  • お正月の混雑を避けて一足先に幸先詣でをすれば、お正月をゆっくり迎えることができます。

<おまけ>護國神社ギャラリー

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