Vstrom250で北海道ツーリングに行ってきた
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Vstrom250で北海道ツーリングに行ってきました。
1.舞鶴港から小樽まで
関西方面から北海道を目指すときの定番航路は、新日本海フェリー。
往路は、舞鶴 23:50発〜小樽20:45着。
復路は、苫小牧東23:30発〜敦賀20:30着の便を予約しました。
まずは、自走で舞鶴港を目指します。
お昼前に自宅を出発して
中国道と舞鶴若狭自動車道を419kmひた走り、
夕方には舞鶴港に着きました。
小樽上陸は21時過ぎだったので、
小樽市内のホテルへ直行しました。
いよいよ明日から北海道ツーリング開始です。
2.小樽から宗谷岬まで
北海道1日目は、
日本最北端の地「宗谷岬」を目指します。
駅舎とその周辺は、高倉健さんが主演した映画「駅 STATION」の舞台となったことで有名です。駅舎をはじめ、高倉さんふんする刑事の実家、「風待食堂」になった建物が今も残っています。現在は、開通当時の駅舎に復元整備し、公衆トイレや駐車場なども整備され、増毛を訪れる人の交流の拠点として活用しています。
設計者は北海道大学を卒業して3年目、北海道庁の技師として稚内築港事務所に赴任してきた当時26歳であった土谷実氏です。
北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていたとき、ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、昭和6年から昭和11年にかけ建設された防波堤です。
樺太へと渡る人々で賑った頃のシンボルでもあり、古代ローマ建築物を思わせる太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は、世界でも類のない建築物として内外の注目をあびています。
半世紀を経て老朽化が著しかったため、昭和53年から3年間、全面的に改修工事が行われ、昭和55年にその独特の景観がよみがえり、高さ13.6m、柱の内側から壁までが8m、総延長427m、柱の総数70本、半アーチ式の構造形式です。2001年に北海道遺産に指定されています。
そして、
ついに到達しました。
日本最北端の地、宗谷岬です。
この日は、天気にも恵まれ、
宗谷ふれあい公園キャンプ場でテント泊となりました。
3.稚内から網走、斜里まで
北海道2日目は、テントを撤収して
オホーツク海ラインを走って網走を目指します。
宗谷丘陵地区にある白い道は有名な観光スポットになっています。死ぬまでに見たい絶景などといわれることも多い場所。海へと続くような白い道は、日本の風景の中でも特異な存在です。道だけでここまで人を惹きつける景色は中々ありませんよ。
この直後、
宗谷丘陵に濃霧が発生して、
危うく迷子になるところでした。
本土最北端となる宗谷岬に対して南東に位置する、オホーツク海に面した猿払村。エサヌカ線は、この静かな村で人目を忍ぶように延びた、海沿いの村道である。ルートの中間よりもやや北側で、ふたつの90度カーブがクランクをつくるが、これを除けばルートはひたすら直線。地平線の向こうで、道が空に溶けていくような風景に出会うことができる。しかも、全線にわたってガードレールや電柱はなく、両側に平原が広がっているため、超開放的な絶景を拝める。南東側は牧草地なのでとくに視界が開けており、逆に原生花園の中を貫く北西側は、草木が少しだけ高めとなる代わりにオホーツク海が近くなる。
左右を見れば広大な牧草地、前を向けばただただまっすぐな道が空に溶けていくさまは「これぞ北海道!」と、ライダーであることを心から喜べる場所なのだ。
北側からアクセスする場合は看板があるので分かりやすいが、南側からは看板などはなく、国道238号からのアクセスに迷うかもしれないが、このエリアに来たら時間をかけても探し当てたい、見逃し厳禁の絶景直線道路である。
博物館 網走監獄は、明治時代から実際に網走刑務所で使用されてきた建物を保存公開している野外歴史博物館です。
もっとも古い建物は、網走に刑務所がやってきて6年後、今から120年も前の建物です。現在と違って木を製材するのも、機械を使わずに手作業で行ったころのこと、太い梁や柱には、囚人達が削ったあとが荒く残っています。
とても8月とは思えない程の
オホーツク海の冷たい風雨にさらされ、
気力と体力を使い果たしたので、
この日のキャンプは諦めて、
急遽、斜里のホテルを予約しました。
4.斜里から知床横断道路、開陽台、摩周湖まで
北海道3日目は、
計画時から楽しみにしていた
知床横断道路、開陽台、摩周湖を巡るコースです。
まるで空にのぼっていくかのように、果てしなく続く道。国道334・244号線の全長約18kmの直線道路は「天に続く道」として有名です。名前の由来は、まっすぐな道がはるか遠くまで伸び、道の先が天まで続いているように見えることから、「天に続く道」と呼ばれています。国道334号線をウトロから斜里方面に向かって走り、峰浜で左折。ウナベツスキー場を左手に見ながら坂を上りきり、突き当たりを右折すると、目の前にこの不思議な「天に続く道」が現れます。斜里町方面から国道334号線を走り、「天に続く道」のスタート地点とは逆の方向から向かってやってくる方もいますが、それまで見ていた景色が一変し、目の前に突然「天に続く道」が現れる瞬間に感動したい方は、峰浜からの道順を進むのがオススメです。
天気がもったのは、ここまででした。
知床横断道路に向かう頃には雨が降り出し、
知床峠は濃霧の中で写真撮影もできない状態でした。
雨と霧の中、知床峠を下って開陽台を目指しました。
中標津空港、中標津市街から車で約15分の距離に位置する「開陽台(かいようだい)」。標高270mの小高い丘が広がり、中標津の代表的観光地でもあります。
この一帯は牧場・農地として開拓された長い歴史を持っています。
「開陽台」が有名になったのは、1982年(昭和57年)に発表された直木賞作家 佐々木譲氏のツーリング小説「振り返れば地平線」の舞台になったのがきっかけだと言われています。雄大な眺望がライダーの口コミなどで広まり、北海道を旅するライダーは「開陽台」を聖地と呼んでいます。
「開陽台展望館」からは地平線が丸く見え、視界は330度。野付半島や知床連山、国後島を一望することができます。なぜ330度なのかと言えば、北側に武佐岳(むさだけ)があるためだとか。実際には周囲に視界を遮るものがないので、360度の大パノラマの地平線を見ることができます。
丘陵の牧草地には放牧された牛と厩舎の牧歌的な風景が広がり、北海道にいることを実感。夜は大粒の星が降り注ぎます。
「開陽台展望館」1階は、中標津産の新鮮な牛乳とはちみつを使った人気のソフトクリームや軽食コーナー、中標津開拓の歴史を紹介したパネル展示や映像コーナーがあります。2階の展望回廊では、地元写真愛好家による写真展、屋上はコンサートやミニイベントなどにも使用できるパフォーマンスサークルがあり、視界330°地球がまるく見える壮大な景色を楽しむことができます。
5.無念のリタイア
それは、
裏摩周展望台を後にして
当日、急遽予約した「コテージログハウス川湯」さんへ向かう
国道391号線の野上峠で起きました。
宿の手前4〜5kmの左カーブ出口で、
雨で濡れた路面でスリップして反対車線にオーバーラン、
縁石を乗り越えて右側の土手に突っ込んで止まりました。
まるでスローモーションのようにバイクが倒れて、
ヘルメットが道路の縁石を擦ったのは覚えていますが、
一瞬の出来事で茫然自失。
気を取り直した時には、
左足がバイクの下に挟まって、
直ぐには動けなかったのですが、
なんとか自力で左足を抜いて、
立ち上がることはできました。
ヘルメットはSHOEIのGTAir、
ジャケットはコミネのプロテクトジャケット、
両膝にはRSタイチのステルスニーガード、
足にはRSタイチのライディングシューズを
装着していたので怪我はありませんでした。
奇跡的に、
対向車も来なかったので車との衝突も免れました。
しかし、
バイクは反対車線の土手に頭を突っ込んだ状態で、
とても一人では引き起こすことはできません。
雨の中、途方にくれていると、
1台の乗用車が止まって降りてきた男性が、
「怪我はないか?大丈夫か?」と声をかけてくださり、
バイクを引き起こすのを手伝ってくださいました。
二人掛かりでも引き上げられなかったのですが、
今度は反対車線を通りがかったレッカー車の運転手さんも手伝ってくださり、
ようやくバイクをもとの車線の路側帯に止めることができました。
レッカー車の運転手さんは仕事の途中だからと
連絡先を聞く間もなく出発されました。
最初に止まってくださった男性にお名前と連絡先を伺いましたが、
「俺もバイク乗りやから、そんなんええよ!」って固辞されました。
神戸ナンバーの乗用車に乗っていたバイク乗りの男性の方、
レッカー車の運転手の方、
本当にありがとうございました。
この御恩は、困っているバイク乗りに出会ったときに、
今度は自分が助けることでお返ししたいと思います。
その後、一人になってから、
保険会社にロードサービスを依頼しましたが、
70kmも離れた中標津から向かうということで、
2時間はかかるとのこと。
その旨をコテージログハウス川湯のご主人に連絡すると、
「場所はどの辺?怪我はないか?迎えに行こうか?」
と気遣ってくださいました。
ロードサービスを待っている間にも、
見ず知らずの人から
「心配になって引き返して来たんよ、大丈夫?熊に気をつけなさいよ。」と
声をかけてもらったり、有り難かったです。
大幅に遅れましたが、
無事コテージログハウス川湯さんに
チェックインすることができました。
ご主人さんは親御さんを亡くされてからは
お一人で運営されているそうです。
それにもかかわらず、
雨で濡れて寒かろうと部屋を暖房で温めて
待っていてくださいました。
「何か食べないと滅入るよ。」と言って
わざわざコンビニまで買い出しに連れて行ってくださいました。
また荷物の配送も快く引き受けてくださり、
さらに翌朝、
川湯温泉駅まで送ってくださいました。
道中、ご主人さんから
「私の知人の30代の息子さんも、
あの峠道でバイクの事故で亡くなったんだよ。
その時、知人は号泣していた。
本当に生命が助かってよかったね。」
と慰めていただきました。
何から何まで、とても優しくしていただき、
感謝してもしきれないくらい大変お世話になりました。
ありがとうございました。
6.エピローグ
夢にまで見た
北海道バイクツーリングは、
壮大なスケール、
美しすぎる景観、
想像を絶する風雨や霧、
自然の厳しさに遭遇し、
予期せぬアクシデントで
無念のリタイアとなりましたが、
奇跡としか言いようのない
偶然と幸運の連続、
とても伝えきれないほどの
優しさに溢れた人々との出会いに
救われた旅となりました。
まさに、
「試される大地、北海道」でした。
<おまけ>