大頭神社へ行ってみた

大頭神社へ行ってみた

2025年1月27日 0 投稿者: macfancy

広島のパワースポットとして有名な

大頭神社へお参りしてきました。

1.由緒

嚴島神社の摂社として推古天皇11年(603)に創祀されたと伝え、古くは嚴島兼帯七社の一とされた。
もと郷桑原に鎮座したが、大正2年(1913)に現在地に遷座した。楽音寺蔵「安芸国神明帳」に佐西郡二位五前として大頭明神とある古社である。
正安2年(1300)「伊都岐島社未造殿舎造営料言上状」に「大頭社一宇三間一面、同戎殿一間一面、同拝殿一間一面、庁屋五間一面、御供屋三間、鳥居一基」と記されており、鎌倉時代には既に多くの社殿が建ち並んでいたことが知られる。また、平清盛の頃より毎年米五十三石余りを奉納されていたと伝え、毛利元就公の時に二十三石、福島正則公の時に十六石、江戸時代に至るも十二石の社領米を有していた。寛永14年(1637)再建の棟札を蔵す。

2.御祭神

大山祇命、国常立命、佐伯鞍職命(厳島神社初代神職)

<手水舎>

神社に参拝する前に、心身を浄めるために手水を行います。

<本殿>

令和の大改修として、本殿屋根の葺き替え(銅板)、本殿修繕、神社正面の石段・石畳補修、報国神社の塗装・耐震化工事等が無事終了し、令和3年10月に竣工祭並びに遷座祭が斎行されました

<拝殿>

大正2年(1913)再建され幣殿と一体に建てられ、地形の高低差を巧みに利用した重層建築(2階建)であって神社拝殿としては珍しい例です。本殿とも接続した複合社殿で、切妻造妻入で正面に唐破風向拝を付し雲龍、菊水、獅子、象、唐獅子牡丹 等等各所に彫刻が用いられており、明治大正期の装飾性の高い神社建築の代表例となっています。

<報國神社>

昔は、乙神社と称し、現在地に鎮座されていました。昭和18年 (1943)に改築され、大野村内の戦死者、戦病死者の御霊を祀る招魂社となりました。戦後昭和32年(1957)報国神社と改称され英霊464柱を祀り現在に至っています。

<妹背の滝>

本殿の脇を流れる妹背(いもせ)の滝は、

やさしい流れの「雌滝」と、激しい流れの「雄滝」があるのですが、

この2つの滝、じつは源流が異なるのです。

それが、大頭神社のすぐ近くで合流し1本になることから、

「和合」を暗示しているとされ、

良縁、夫婦円満、家族和合の御神徳が得られると言われています。

<雌滝>

<雄滝>

<御朱印>

<おすすめポイント>

3.おまけ<ギャラリー>

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